株中毒の投資日記

日本株オンリーでしたが、2024年からはそれ以外の投資法にも言及するつもりです。

NHKスペシャル 戦国 感想と調べたこと。

 もうひと月くらい前になりますが、「NHKスペシャル 戦国~激動の世界と日本~」の2回目を、たまたま見ました。

 内容も興味深く、再現ドラマもカッコよかったので、NHKオンデマンドでお金払って見られなかった第1回目と一緒に第2回目も見ました。

 内容は、日本の戦国時代(といっても長篠の戦いから大阪の陣までの戦国後期。1575年~1615年くらい)を中心に、欧州の資料や、鉛や銀、銅といった金属類がどこから来たものか調べることで、世界史の中の日本戦国史をとらえなおす、というものでした。

 1回目は宣教師たちと織田信長豊臣秀吉の関わり、2回目はオランダ商人と徳川家康の関わりを通じて論を展開していました。

 以下感想と調べたことを書きます。

 

全体的感想

  • 鉄砲玉に使う鉛が外国産だったというのは意外でした。火縄銃に関し、火薬に使う硝石を輸入に頼ってたらしいとは聞いたことがあるのですが、燃えてなくなるのでこの番組では扱えなかったんだと思います。
  • 朝鮮出兵の後ろにいたスペイン&宣教師怖い。(ここまで第1回分)
  • そして大阪の陣の豊臣方の後ろにもいたスペインと宣教師……しつこい。(ここから第2回分)
  • 昔、秀頼*1に言いがかりをつけた挙句戦争して滅ぼした家康をひどいと思ってましたが、相手が豊臣家だけでなく後ろに外国勢力がいたとなれば、滅ぼさざるを得なかったのでしょうね。
  • オランダが秀吉の存命中漂着していたらどうなっていたんでしょうか。
  • 日本が太平の世になっても欧州本土や植民地では戦乱が続きましたとさ。欧州の天地は複雑怪奇……。

 まあ、細かい部分では、あまり詳しくない私でも異論はありましたが。朝鮮出兵の動機には色々な説があるとか、大阪の陣は大砲だけで勝敗が決まったわけではなく、作中の大砲攻撃のあとも徳川優位ながら色々あったりとか。でも、あんまり書くとネタばれになりすぎるので、この辺で。

 トータルで考えると日本の中のことだけでタコつぼ的に考えていてはダメで、外国との関わりをグローバルに考えなきゃいけませんよ、という内容でした。

 あと、再現ドラマがかっこよかったです。取引のシーンがほんとに緊迫感あって。私の感想としては第1回目のドラマは群像劇(日本側は信長と秀吉、欧州側は宣教師たち)、対して第2回目のドラマは、家康と初代オランダ商館長のジャック・スペックスの二人中心(他にも出てくる人いますが)という印象を受けました。

若き初代オランダ商館長ジャック・スペックスについて

 このジャック・スペックス。同時代のウィリアム・アダムス(三浦按針)&ヤン・ヨーステン*2コンビに比べ聞かない名前ですが、どんな人だったのでしょう。

 再現ドラマではずいぶんと若い人が演じてたことにひっかかりを覚えました。ドラマのナレーションでも「若い」と言われてましたが、「オランダ商館長(カピタン*3)」というと、オランダの貿易拠点のリーダーのはずであり、人間五十年の時代とは言え、20代というのは若すぎるのではと思ったのです。

 Wikipediaで彼の名前を入力しても出てこなかったのですが、Googleで「ジャック・スペックス」の語で検索したところ、「ヤックス・スペックス」という名前でWikipediaのページが出ていました。*4。これによると1585年生まれで、日本に来たのは1609年なので当時24歳、大阪の陣(1914~1915)の頃でも29から30歳ということになり、実際若かったことがわかります。

 それなら商館長自体の平均年齢は、と思い、Wikipediaでオランダ商館長一覧を見て、代々の商館長について調べたのですが、生年のわからない人が多く、いくつくらいで商館長になっていたのかという平均値は出せませんでした。ただ、一時的にスペックスの後任になった商館長ヘンドリック・ブラウエルが、彼より年上であり、商館長になった時は30代だったことを考えると、やはり異例だったのでは?と思いました。

 スペックスの着任した1609年という時期を考えてみます。最初にオランダ人たちが漂着したのが1600年なので、彼が来るまでに9年くらいの間が空いてたということになります。漂着当時オランダはスペインとの独立戦争中だったので、日本との交渉をする余力がなく、家康からの要請にもすぐこたえられなかったようです。

 また、オランダ東インド会社の創設からも間がなく、無論スペックスの才能もありますが、こうした事情も、「20代の初代商館長」の誕生に絡んでくるのではないかと思います。平たく言えば、株式会社の走りと言われる東インド会社も、この頃はまだまだ組織として駆け出しだったからだと言えるでしょう。

 「一軒の家を借り」「スペックス含め6人が平戸に残ることになった」ということから、初めの頃の在日本オランダ商館というのは小さな事務所から出発したのではないでしょうか。*5

 一方、日本側の事情からみると、大阪の陣の5年前ですから、家康としても対豊臣、対キリシタンとの間の事情が行き詰っていたところのオランダ商館開設だったのかもしれません。

 家康の家臣であり、先行者でもあるアダムス(彼は英国人でしたが)の協力を得ることができた、とWikipediaにはありましたが、二度目に番組を見直した時、再現ドラマで家康との交渉中、アダムスがちゃんと映っているシーンがありました。芸が細かい……。

 こうした先行者の協力あってのことでもあるでしょうが、スペックスが切れ者だったのは番組を見ていただければ分かると思います。

 結局彼はWikipediaによると大阪の陣の前年に、先述したブラウエルに一度商館長職を譲っているものの、1614年には再度三代目商館長に就任し、1621年ごろまで日本にいたようで、その後の細かいことは分かりませんが、東インド総督にまでなっているようです。

番組で扱われた時代から後のこと

 さて、番組で扱われたもののその後、です。

 日本の銀の行方について。番組内では、兵器を売って家康の信頼を得たオランダ側ですが、太平の世に兵器はあまり要らないわけで、それ以外は何を売っていたかというと、実は絹(生糸)でした。

 正確には南方やのちには中国の生糸をオランダ側が買い付けて、それを日本まで運んで来てくれていたのですね。当時から日本で絹織物の生産はされていましたが、養蚕はそれほどでもありませんでした。暖かな国でとれる生糸を使った方が当時は手っ取り早かったのでしょう。

 ジャパンシルバーは絹の着物に化けてしまったわけですが、後年、金銀の流出の対策として始めた自国養蚕が、明治維新後日本を支えるようになったことを考えると皮肉な話ではあります。

 海外に傭兵として出たサムライたちについて。「サムライ最強!」という意見を放映直後見かけましたが、オランダ人たちが要領よかったのもあるのでは……と私は思います。再現ドラマで、スペイン兵だけではなく東南アジア風の衣装の人ともサムライが戦っているのを見て、ああそうか、と。実働部隊はよその人にやらせつつも、頭脳部分はしっかり握って置くという要領の良さ。

 それはさておき、おサムライさんたちは大阪の陣から6年くらい後から武器ともども輸出はされなくなりました。家康は大阪の陣の終わった翌年に死去していますが、跡を継いだ二代将軍秀忠によって、1621年、武器の輸出も人身売買(傭兵も含む?)も禁ずるというお達しが出ているようです。この件を覆そうとして、スペックスの後任のキャンプスという人が説得にあたりましたが、だめだったようです。(時期的に離任ギリギリの年なのでスペックスも関わったかもしれません)

 傭兵はともかくとして、仮に日本とオランダでの間でずっと武器、兵器を貿易でやり取りしていれば自然と技術革新の情報も入ってきて、200年後、圧倒的に差のついた欧米列強の兵器の性能の前に右往左往することもなくて済んだとも思うのですが。結局、鉄砲は日本では火縄から燧石式(フリントロック式)への改良が試みられたりしたものの、材料や気候の関係などでうまくいかず、ほぼそのままの状態で進化を止めてしまいました。

 もったいないなあと思うと同時に、当時の日本人の気性の荒さや、周辺諸国との関係(朝鮮出兵で色々気まずくなっていた)を考えると、仕方のない決断だったのかとも思います。

 いわゆる鎖国政策は段階を経て進んでいき1635年には日本人の東南アジア方面への渡航、在外日本人の帰国も禁止されてしまいます。平戸のオランダ商館も、1641年に長崎の出島に移されています。スペックスが離任してから20年後のことでした。

(2020年8月23日 加筆修正済み) 

www4.nhk.or.jp

 ネットからの有料放送(NHKオンデマンド)はこちらから。

www.nhk-ondemand.jp

第1回、第2回ともに2024 年3月28日までが購入期限です。

 

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*1:秀吉の息子。妻は家康の孫、千姫。つまり家康にとって孫の婿にあたります。

*2:東京都内の地名、八重洲(やえす)の由来になった人。実は「ヤン・ヨーステン」はファーストネーム。フルネームは「ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステイン」。(Wikipediaヤン・ヨーステン」より。)長い。

*3:Wikipediaによると、カピタンはポルトガル語由来で、オランダ語では正式には「Opperhoofd(オッペルホーフト)」と言うそうですが、日本では使われなかったとのこと。

*4:「・」入れないで「ジャックスペックス」だと出てきません。英語版ウィキペディアの「Jacques Specx」項目の中で発音記号が書かれてますが、これだとファーストネームは「ジャック」の方が近いんじゃないかと思うんですが……。

*5:平戸のオランダ商館は「民家72戸分を立ち退かせて建設した」非常に広いものだったとWikipediaオランダ商館の項にはありますが、初めからこうではなかったのだと思います。