野田元首相の、安倍元首相への追悼演説、素晴らしかったです。
演説全文がこちらに掲載されています。(映像へのリンクもあります)
野田元首相の声や体格に貫禄があるという、フィジカルな優位さを引いても、素晴らしい内容だったと私は思います。
まず、銃撃事件の概要に触れ、志半ばにして倒れたであろうことを悼み、そこから政治的方向性が違っても、首相経験者という立場の困難に触れた導入部。
安倍元首相の政治人生における栄光と挫折、再びの復活に触れ、野田元首相の首相時代における安倍氏との論戦の思い出につなげます。
しかし、論戦をひとたび離れれば、安倍氏は対立党派である野田氏にも気遣いの出来る人であったことを、野田氏が選挙で敗れて、安倍氏の首相親任式で前任者として野田氏が立ち会った時に、励ましの言葉をかけてくれたことをその証拠として語っています。
そして、かつて自らが安倍氏の退任のきっかけとなった消化器系の病を揶揄したことを詫び、第二次安倍政権での功績を語っています。
それに加え、現上皇陛下の退位に関する立法に関し、野党であった野田氏にも意見を聞いて、政争の具にしないことを話し合ったことという、ある意味貴重な証言をいれています。
その上で、安倍氏の功罪はこれから長く歴史の審判にさらされなければならないことを述べ、単なる賛辞一辺倒の弔辞には終わらせていません。
最後に、再度選挙演説中の銃撃というものを非難し、それに負けず、街頭で人々に語りかけることを止めてはならないと鼓舞しています。
私はここに大変感銘を受けました。
ちなみに後半に出てくる尾崎咢堂、犬養木堂というのはそれぞれ戦前の政治家の尾崎行雄氏、犬養毅氏(首相)のことです*1。
文中の五・一五事件というのは海軍軍人による犬養氏暗殺事件で、この時交わされた(と俗に言われる)犬養氏の「話せばわかる」軍人たちの「問答無用」のやり取りで有名です。*2
軍人という、銃を入手しやすい人間による事件と違い、手法としては今回の安倍元首相の事件の方が、模倣犯の可能性という点では深刻です。銃規制、火薬規制を厳しくしても、私製銃による犯行という形で、その網を潜り抜けてしまったのですから。
今回の事件の模倣犯が出るとすれば、与党の人だけでなく、野党の人も対象にならないとは限りません。動機は全く違うものであれ、「方法」は示されてしまったのです。
それでもなおかつ臆せず前に出よ、と訴えかける内容は心を打ちます。
また、安倍氏の死後明るみになった疑惑について婉曲的に触れながらも、全体を貫く彼への敬意、政治的に立場を異にしていても、否、だからこそ、お互い最低限の敬意を忘れてはならないという態度に深く感銘を受けました。
政治的な対立は、容易に深刻な怨恨とお互いの全否定につながっていきがちです。しかし、それを放置すれば民主主義は失われるということかも知れません。
では。
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*1:それぞれ本名そのままでもわかりやすくていいと思ったのですが、国会議員たるもの先達の号ぐらい知っておきなさいということなのでしょうか。尾崎の号は知ってたんですが、犬養木堂というのは一瞬誰か分かりませんでした。
*2:実際はちょっと違うそうですが。Wikipedia-犬養毅-暗殺の項