大名のお酒だったみりん
和食の煮物、汁物、焼き物に欠かせないみりん。これがかつてはお殿様の愛飲するお酒であったと言ったら、意外に思われる方も多いのではないでしょうか。
金吾殿と同じ酒が飲みたい?
— 小早川隆景 (@Miharachunagon) 2022年9月8日
ハハッ、それは簡単な事じゃ。台所に行って調味料の棚を開けて味醂を取り出したらそれをがぶ飲みすれば良かろう。味醂は慶長文禄の頃には甘味のある酒として扱われておって、金吾殿もよく嗜んでおったんじゃよ。
無論、それによって体調を崩しても責任は取らぬぞ。
(↑筆者注:「金吾」というのは小早川秀秋の官職名「左衛門督」の唐名のことです。参考 衛門府 - Wikipedia)
えー、小早川隆景様、がぶ飲みをお勧めするのは、フォロワーの健康のため*1にも秀秋様の名誉のため*2にも、いかがなものかと……と言うのは置いといて、これは本当です。
↓こんな記録もあるのです。
秀秋公の頃はみりんが甘い高級酒として嗜まれていました。そのため博多の統治者は商人からよく贈り物として貰っていました。
— ぽっぽちゃん (@12ZOGWoR83XeA0v) 2022年5月18日
神屋宗湛さん→石田三成さん
みりん二樽
神屋宗湛さん→黒田長政さん
みりん五桶、みりんニ樽など
神屋宗湛さん→小早川秀秋公
みりん十五樽
十五⁉︎
……十五樽(豊臣政権の実務を担う五奉行の一人だった石田三成公の7倍以上)は確かに多いですが、三成公、長政公に比べ地位の高い人ですし、秀秋公おひとりで飲んだのではなく、家臣にもふるまったとかだと思いたいです…….。
本来飲用だったみりんが、時代が下ってたくさん作れるようになってから、おそらくは一種の贅沢として、料理に転用されるようになったのではないでしょうか。
みりんの製法と歴史
みりんについてWikiってみました。↓
これによると、
味醂の基本的な製法は、蒸したもち米に米麹を混ぜ、焼酎または醸造アルコールを加えて[注 1]、60日間ほど室温近辺で熟成した物を、圧搾し、濾過する手順を踏む。
とあります。
要するに、焼酎の中で甘酒を発酵させたものがみりん、と考えればよいのではないでしょうか。焼酎は当時国産できていて、庶民も飲んでいたようですが*3、米をいったん醸して酒にして、それを蒸留して焼酎にして、それにさらにもち米と米麹を加えて醸す……と考えると、材料も手間もかかるお酒だったと言えましょう。
料理に用いられたのは江戸後期の18世紀後半くらいからで、1940年代には庶民の酒であったというWikipediaの文言を考慮すれば、飲用よりも調味料としての使用が広く定着したのは、意外に近年のことなのではないでしょうか。
「飲むみりん」が飲みたい
そんなわけで、みりんを飲みたいなと思っているんです。
秀秋公の命日は10月18日で、この日に供養などもされているのですが、これは旧暦の日付で、西暦換算すると12月1日になるようです*4。10月はバタバタしててできなかったので、来週の12月1日にでも、飲用につくられているみりんを通販ででも買って、飲んでみたいなあと思ってます。うちで料理に使っているのは一応本みりんで、お屠蘇にして飲んだことはあるのですが、素のみりんってどんな味かなと思って。
Bingで検索してみたらこんなページがありました↓。
これに載っているメーカーのみりんで、サイズの小さなものを楽天で検索してピックアップしてみました。
みりんからできた薬酒
最後に余談になりますが、みりんは様々な薬草を漬けて薬酒(薬用酒、薬味酒)を作るベースにもなっています。
多分一番有名なのがこの養命酒。
似たようなもので、保命酒というのもあります。
養命酒は薬用(医薬品)ですが、保命酒は薬味酒と言ってリキュール扱いだそうです。ただ一応効果はあるようです。
また、保命酒には、幕末にペリーやハリスが来航した時の歓迎の宴にも饗されるなどのエピソードもあったりします。(残念ながら、現在のメーカーは当時の蔵元ではないそうですが……)
相変わらず脱線ばかりでしたが、こんなところで今回は終わりにします。では。
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*1:みりんのアルコール度数は14度くらい。ビールのアルコール度数が5度ぐらいですから、がぶ飲みしてはいけません。
*2:確かに小早川秀秋は幼年時代からアル中ぽかったのではないかという説が強いのですが、がぶ飲みしてたとは限らないじゃないですか。参考:小早川秀秋 - Wikipedia
*3:参考:焼酎 - Wikipedia
*4:ちなみに前日の11月30日は「いいみりん」のごろ合わせで、「本みりんの日」とされているそうです。みりん - Wikipedia