上記の記事で、儒教の「怪力乱神を語らず」にちょっと触れましたが、それについて調べてみたら大まかに分けて二つの解釈があるようです。
私が以前思ってたように「怪力」と「乱神」を語らず、と解釈するもの。
参考は下の記事です。
この記事によれば、四字の解釈は以下の通り。
「怪」は怪異。「力」は信じられないような体力。「乱」とは臣が君を、子が父を殺すといった秩序の破壊。「神」とは鬼神のこと。
「怪力」「乱神」で区切る説だと、なんとなくオカルトや怪談に近寄るな、というだけの説に感じますが、一字ずつ区切るこちらの説の方が深いような気がします。
私個人の印象だと、「人心を不安にさせるようなこと、人と論争になりそうなことはみだりに口にするものではない」というか……。(孔子様の考えとは違うのかもしれませんが)
あと、現代的に拡大解釈すると「神」は「鬼神」だけでなく宗教一般について語ることとも考えてしまうというか。
「無神論です」というにしても、「自分は○○教です」というにしても、あまり人前で口にするようなことじゃないと思うんです。そう言ってしまった途端に、「そうでない」人の反感を多少なりとも買ってしまいますから。
「神」について多少語ります。カルトをはじめ宗教がらみのトラブルが、自分は無縁ですむ、とは思わない方がいいと思います。
「宗教」に対して警戒してても、宗教以外の形態をとって勧誘してくることも少なくないらしいですし、どんなに強い心をもっていても、閉じ込められて洗脳されたりしたら対抗できる人はいないと思います。
論破できると思って近寄るのも危ないそうです。
参考↓
今回の事件で、オウム事件があったのにまだ、カルト宗教について、他人事と思う(そしてカルトにとらわれた人を叩く)人がいたことに眉を寄せました。
何事も「明日は我が身」と考えた方が良いと私は思うのです。では。
ここまでお読みいただきありがとうございました。よろしければクリックお願いいたします。