株中毒の投資日記

日本株オンリーでしたが、2024年からはそれ以外の投資法にも言及するつもりです。

イスラエル人も知らなかったイスラエル建国史 「青い募金箱 イスラエル建国の真実」感想

 NHKBS? で先日放送されたBS世界のドキュメンタリー「青い募金箱 イスラエル建国の真実」をNHKオンデマンドで見ました。2021年に、イスラエルで制作されたものです。

 以前紹介したこの番組です。

gonstock.hatenablog.com

 公式はこちら↓。

www.nhk.jp

 イスラエル建国の意外な事実が描かれている、と見かけたので見ました。

あらすじ

 この番組を作った女性ジャーナリスト、ミハル・ワイツが、曽祖父ヨセフ・ワイツの植林事業の思い出をつづるところから始まります。

 曽祖父の植林事業で出来た、見渡す限りの緑の森。それを誇らしく思っていた彼女でしたが、ある時ネットで、それとは別の、不穏な呼び名を知ります。「(アラブ人)移送計画のヨセフ・ワイツ」

 疑問に思った彼女は、曽祖父の残した膨大な日記を読み始めます。

 そこには、ユダヤ民族基金の一員として、イスラエル独立前から、アラブ人から土地を購入すること、後には力づくで奪うことで、少しづつ彼らを追い払ってきた曽祖父ヨセフの信念と苦悩がつづられていました。

イスラエル建国の意外な側面

    このドキュメンタリーを見てわかったこと。↓

  1. ユダヤ人によるアラブ人追放は、事実上イスラエル建国以前、第二次大戦以前から始まっていた。
  2. ヨセフ・ワイツは、ドイツではなく、帝政ロシアから20世紀初頭にパレスチナに来ている。(ナチによるホロコーストが原因で逃れてきた人ではない。(但し、帝政ロシアによるユダヤ人迫害もひどかった模様)
  3. ナチスドイツが滅んでも、ユダヤ人難民は故国に帰還できなかった人が多い。
  4. イスラエルユダヤ人は、意外と自民族のアラブ人迫害については知らない。(多分1948年建国より以前からのいざこざは知らない模様。)

  こんなところでしょうか。

 2の、イスラエル建国の土台になったユダヤ人移民は、ホロコーストのあったドイツ系が主と思いがちですが、このヨセフ・ワイツのような、帝政ロシアソ連からの移民も多いらしいということは何かでちらっと眼にしていました。

 しかし1に関しては私も初めて知りました。まあ、戦前から開拓していなければ、ナチスドイツの迫害から逃れた人が押し寄せたからといって、受け入れられるはずもなく、よく考えてみれば当たり前のことですね。

 3に関しても、ナチスが滅んだあと、ユダヤ人は最も安全な逃げ場所として、ドイツに逃げた、などという話を見かけた覚えがあり、ユダヤ人迫害は、ドイツ一国だけがしてたんじゃないんだと思ってはいました。

 4はそんなものかな、と。

時と共に複雑化した、ユダヤ人入植地の問題

 それにしても、ユダヤ人の土地取得が狡猾としか……。最初のうちは確かにお金で土地を買ってはいるんです。(募金で、世界中のユダヤ人からお金を集め、それを元手にしていた。それを入れる「青い募金箱」がタイトルの由来。)

 しかしお金を払った先は「地主」。日本でも戦前にあった不在地主(耕作地のある土地にいない地主。参照;不在地主とは?コトバンク))に似てて、パレスチナ域内にすらいなくて、外国に住んでるんですね。

 じゃあそこに「住んでる」アラブ人は、どういう立場かというと、小作人(地主に小作料を払って土地を耕作する人。日本でいうところの、ドラマ「おしん」のおしんさんの出身階級。)で、土地の権利は持ってないから、地主が土地を売ってしまったら出ていくしかなくなるんです。

 地主の側から小作人にいくばくかの補償というか、引っ越しとかに当たってのお金の払いがあったかというと、なかったっぽい雰囲気でしたし、ユダヤ人もひどいけど、アラブ人同士でもひどいよなあと……。

 あと、ユダヤ人難民、アラブ人難民の扱いについて。

 ナチスの迫害から逃れたユダヤ人難民をどこの国も引き受けるのを嫌がった、というのが出てきましたが、パレスチナユダヤ人と交戦して追い出されたアラブ人もまた、周辺のアラブ諸国に引き受けてもらえませんでした。イスラエルの存在を認めることになってしまうので、というのがその言い分なんですが、これもひどいよなあと。

 その後、イスラエル建国後、色々あって国連でパレスチナ人の帰還が認められると、これに対抗すべく、イスラエルはアラブ人から奪って国有にしていた土地を、ユダヤ民族基金に売却します。こうして国有にしないことで、法の網の目をくぐらせたらしいです。(法律的な建付けは私にはよくわかりません。)

 そしてその土地にヨセフ・ワイツは木を植え、木は育つうちにパレスチナ人の住居の跡などを覆い隠していった……ということが分かっていきます。ミハルが誇りに思っていた「曾祖父の作った森」は、人から奪った土地の上にあったのです。怖い。

 しかしヨセフは時が経つうちに、イスラエルの拡大路線に不安を感じ、追い出したアラブ人たちにお金だけでも支払って、妥協の道を模索できないかと政府に提案しますが、これは却下されてしまいました。

 結局、ヨセフ・ワイツはアラブ人の恨みを子孫に受け継がせる不安とともに、生涯を閉じたらしいことが示されています。

 こうした事実を、時折ミハル以外のヨセフの子孫(この番組を作った、ミハル・ワイツの父、おじ(ヨセフ・ワイツの孫世代)、いとこ(ヨセフのひ孫世代)など)の感想を挟みながらつづっていきます。

 この感想も、世代差があって、ミハルの父親やおじは「仕方なかった」という雰囲気が強く、いとこは「ひどい」という感じの感想でした。親族の一人(確かおじさん)は「もうどうしようもない。その直後なら何とかなったが、お互いに流血が重なりすぎた」みたいなことを言っていました。(ヨセフの息子も一人、アラブ人との争いで命を落としており、ヨセフの人生に暗い影を落とし続けていました。)

 確かにそうですね。それに、アラブ人(パレスチナ人)の側も世代が経ちすぎていて、多分、先祖は、元はパレスチナのどこら辺に住んでいて、いつ頃追い出されたか……とかはっきりしたことは分からなくて、とにかく追い出されたことだけは確か、みたいな人もいるでしょうし……。(日本の戦後の、対外国への戦中被害に対する個人賠償を考えれば、なんとなくわかる気がします。)

 本当、どうしたらいいんでしょうね。

 では。

 ↓参考にしたWikipediaです。

ja.wikipedia.org

 

ヨセフ・ワイツについて(英語)

en.wikipedia.org

タイトルでググったら、パレスチナ代表部がこの番組を推していました。

 

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