株中毒の投資日記

チャート記録の更新ができなくなってすみません。

「青い募金箱」の裏で もうひとつのイスラエル建国前史

先日、第二次大戦以前から、パレスチナ(後のイスラエル地域のあたり)で、ユダヤ人の土地取得と、開拓事業に邁進した、ヨセフ・ワイツを扱ったドキュメンタリー、「青い募金箱」の感想を書きました。↓

gonstock.hatenablog.com

その後、偶然、戦前(昭和5年=1930年)のイスラエルユダヤ人事情について、記事を書いてらっしゃったかたがいたので、こちらに引用します。↓
fox-moon.hatenablog.com
思い切り要約してしまうと、1917年のバルフォア宣言以降、1930年までの間で、パレスチナでのユダヤ人増加数は10万人程度であり、意外に少なかった(アラブ人には脅威であっても)。
その要因としては、ヨーロッパの多くのユダヤ人が、都市生活者であり、それに対して、当時のパレスチナはあまり拓けていない農業中心の地で、彼らが住むには向かなかったから、と、当時の日本の新聞社顧問が書き残している……、というものです。

正直、これを読んで、「じゃあなんで、ヨセフ・ワイツは土地の確保に躍起になったのか」と思いました。(ヨセフ・ワイツが土地購入事業に関わり出したのは確かこの2年後くらい)
こんな状態なら、外国にいるアラブ人地主から土地を買い取っても、アラブ人の小作人(実際の住人)はそのままにしとたほうが、小作料が入るし、悪い話ではないと思うのは、私の根性がたるんでいるせいでしょうか。

ちなみに、ユダヤ人の名誉のために言うと、都市の方が暮らしやすいから、そこにいたわけではなく、彼らはヨーロッパで、農業に就くことが許されなかったため、金融業などの、都市に多い職業につかざるを得なかったという面があります。
参照↓
ja.m.wikipedia.org

さらに、農業経験者が少ない(多分全くいなかったわけではないと思う)ことに関しては、キブツと呼ばれる共同体を作って、この問題を解決したようです。
そのため、イスラエルは、今では画期的な農業技術を編みだし、農業分野でも先進的な面を持ちます。
参照↓
ja.m.wikipedia.org

ですが、最近は、共同体としてのキブツの性質が薄れ、タイなどから農業出稼ぎ者を受け入れており、10月のハマスの攻撃で、人質にとられた外国人でもっとも多かったのは、タイ国籍者だとか……。
参照↓
www.47news.jp

言葉がありません。
では。
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