アメリカ同時多発テロ事件、通称9.11事件からもう22年になるのですね。
www.mofa.go.jp
その年に生まれたお子さんが、大学4年生になるほどの時間が経ってしまったのですね。
以前書いた記事↓の焼き直しみたいになりましたが、また書きます。
gonstock.hatenablog.com
あの日、夜9時半頃、アメリカで飛行機がビルに突っ込んだ、というニュースが、どこから入ったのか良く覚えてません。家族のうち、ネットサーフィンをしていた者からだったか、テレビを見ていた者からだったか……。最初は事故かと思いましたが、2回目のビル衝突で、「故意」によるものだということがわかりました。
飛行機のビルへの衝突シーンが、何度もニュースに取り上げられたため、トラウマになる人も出たほどです。
このテロで日本人24人を含む約3000人ほどが犠牲になりました。
これに先立つ阪神・淡路大震災の犠牲者が6000人ほどですから、ひとつの「事件」の犠牲者数としては異例だったのだとは思います。
アメリカ側の衝撃は激しいもので、事件からしばらくして、首謀者として「オサマ・ビン・ラディン」という名が挙げられ、彼を匿っているとして、最初にアフガニスタンに、次にイラクへアメリカ軍が派兵されました。しかし、結局事件当時のブッシュJr.大統領の在任中にオサマは見つからず、次のオバマ大統領の任期のずいぶん後の方になってから、彼はパキスタンで米軍に殺害されました。
私はこの事件は、あくまでも「テロ」、「事件」として扱われるべき物だったと思っています。
なくなった方の数は確かに膨大ですし、テロの被害範囲も広いものでした。しかしそれでも、「容疑者を渡さないから」という理由だけで、アフガニスタン全土を制圧すべきだったのか、イラクを制圧すべきだったのか、と思います。
しかし、それでは国民が納得しないのも事実ではあったでしょう。
けれど、イラク攻撃の時は、アメリカは湾岸戦争の時と違って、無理矢理に出兵しています。
そんな前例を作ったことで、ロシアの今回のウクライナ侵攻の口実というか参考になってしまった面はあるのではないでしょうか。
なにより、最初の復讐心からの高揚が去った後、アメリカ国民は、帰還兵のトラウマなどを理由に、内向きになってしまいました。
また、イラク、アフガニスタン以外の中東・イスラム地域からの疑念を買うことになってしまいました。
それが今のウクライナの苦境の原因になっていないとは言いきれないでしょう。
本当に、理想論だとしても、ほんとうにあの時もう少しでも外交ルートを通じて「犯人」としての引き渡しをアフガニスタンに求めていたら………。
歴史にifは禁物とはいえ、このところ、ほんとうに、もう少しアメリカ政府が理性的な対処をしていたら……と思うことしきりです。
【各種ランキングに参加しています。よろしければクリックお願いします。】
はてなブログランキング